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たまにはテキストコミュニケーションのスリリングな綱渡りを味わってみよう
  • #コミュニケーション

HUMAN

横内美保子

2021.07.28

テキストコミュニケーションは侮れない。

先日、大失敗をしてしまった。

ことのはじまりはディレクターから届いたチャットである。

「?????」

書いてあることが理解できない。
いや、そうではない。意外すぎて受け入れられないのだ。

ディレクターとは多くの価値観を共有し、信頼関係が築けていると思っていた。

彼は決して押しつけがましい指示は出さず、いつも仕事を任せてくれた。

「いいようにやってください。どんどん攻めてください」と。

そして、筆者の「攻めすぎ」な原稿がメディア側からボツにされた時も、
「これでいいんです。私は支持します」
と、エンカレッジしてくれた。

ライターを常に対等に扱い、尊重してアシストし、ライターの成長を我がことにように喜んでくれる人・・・だった・・・よね?

(そのボスが何でこういうこと書くかなあ。)

何度も読み返しているうちに、無性に腹が立ってきた。
こういうとき、直情径行な筆者は、言動が俄かに先鋭化する(らしい)。

「ボスらしくもない。受け入れられません」
というようなことを書き連ねた挙句、シメは、

「少しは私を信頼していただけませんか!」

対面だったら、両手で、バーーン!と、思い切りデスクを叩きそうな勢いで噛みついた。

さて、一方のディレクターはというと、そんな筆者の反応に、
ええ~~っ? 
と、のけぞったらしい。

(一体、この人は、何を怒ってるんだろう?)

テキストコミュニケーションは綱渡りである

すぐに返事が届いた。

「信頼していなければ、絶対にお願いしないのですが・・・。そう思われたとしたら、私の未熟さゆえです」

「?????」

(どういうことだろう。もしかして、私のミスリード?)

もう一度、チャットを読み返してみる。
だが、何度読み直しても、同じようにしか読めない。

2、3度チャットをやり取りするうちに、ようやくディレクターの真意がみえてきた。

実はその直前にちょっとしたトラブルが生じていた。
筆者はそういうとき何もかも自分のせいだと過剰に抱えこみ、頑なになる癖がある(らしい)。

そんな筆者に寄り添い、
「ほら、また! そんなに抱え込まないでください。だいじょうぶですよ」
というメッセージを懸命に送ってくれていたのだった。

つまり、筆者は彼の厚意を全く逆方向に読んでいたことになる。
その挙句、悪態までついてしまった。

なんということだろう。

そもそも、ディレクターにとっても筆者にとっても言葉は商売道具、いわば言葉のプロだ。

さらに筆者は長年日本語教育に携わっていて、日本語に関する専門性もある程度はある。

正直に白状すると、読解力にはいささかの自信があった。

それに、ディレクターとはこれまでおそらく数100回を超えるチャットのやりとりをしているはずだが、チャットの内容をめぐって対立したことなど、それまで1度もなかった。

まさか彼のテキストを読み違えようとは・・・。

メッセージに違和感を覚えた段階で、何かミスリードしているのではないかと、どうして自分自身の方に疑問の目を向けなかったのだろうか。

「少しは私を信頼していただけませんか!」
は、彼のセリフだろう。

大失敗だ。

テキストコミュニケーションは、決して侮ってはならないのである。



その後、ディレクターとこのことについて話す機会があった。

「本当にごめんなさい。ボスの意図がまったくキャッチできませんでした」
「いやあ、そんなことおっしゃらないでください。今回は派手に食い違ってしまいましたけど、なにか状況的な問題があったのかもしれませんね」

「確かに。同じ文でも書き手が想定している文脈と、読み手が受け取る文脈がずれていたら、風景が全く違って見えるんですよね」
「ええ。対面だったらこういう齟齬って生じにくいんじゃないでしょうか」

対面なら、空間を共有し、目の前のリアルな相手に向き合うことができる。
表情や声のトーンも相手の意図を汲み取る手がかりとなる。

違和感を抱いた段階で、相手にそのことについて説明を促し、早い段階で誤解を解消してもいけるはずだ。

一方、文字をベースにしたコミュニケーションでは、ひとまとまりのメッセージが届くだけだ。

どれほど気心が知れた人間同士といえども、別個の人間であり、経験も違えば、立場も違う。ライフステージも違うし家庭環境も違う。

日々異なる状況を生きているのだから、そのときどきで抱えている問題や関心事、精神状態などが完全に一致することなどあり得ない。

そう考えると、ときに誤解が生じるのはむしろ当然のことだとも思えてくる。

文字をベースにしたテキストコミュニケーションは綱渡り的要素を含んでいるのである。

とはいえ、ビジネスの場合、場合によってはこの齟齬が致命傷にもなりかねない。要注意である。

あえてスリリングな綱渡りを味わおう

ここで、あえてビジネスを離れて考えてみると、テキストコミュニケーションをめぐる綱渡りからはドラマが生まれそうな予感がする。

たまには、そのスリリングな綱渡りを味わってみるのも悪くないだろう。

文豪が教える「手紙の心得」

テキストコミュニケーションは文字ベースのコミュニケーションである。
そのアナログ版の代表格は手紙だ。

手紙は小説でも主要モチーフのひとつ。
中でもユニークなのは、三島由紀夫の『レター教室』である。*1
(*1 出典:三島由紀夫(1991)『三島由紀夫レター教室』(筑摩書房), 目次, p.111, pp.114-115, p.221)

タイトルから、「手紙の書き方」的な文章読本を予想したとしたら、その段階で読者はもう作者の企みに弄ばれている。

なるほど、目次は一見、手紙の見本市のような様相を呈している。

古風なラブ・レター、有名人へのファンレター、借金の申し込み、同性への愛の告白、結婚申し込みの手紙、旅先からの手紙、身の上相談の手紙、結婚と新婚を告げる手紙・・・。

とてもここには書ききれない。

こうした目次だけみれば、様々なテーマの手紙について、その書き方を伝授したものではないかと錯覚してもし方ない。
著者も冒頭で、こう述べている。

五人の登場人物がかわるがわる書く手紙をお目にかけ、それがそのまま、文例ともなり、お手本ともなる、という具合にしたいと思います。

しかし、騙されてはならない。
次のような手紙をふつう書くだろうか。

愛を裏切った男への脅迫状、心中を誘う手紙、年賀状への不吉な手紙、陰謀を打ち明ける手紙、裏切られた女の激怒の手紙、すべてをあきらめた女の手紙、悪男悪女の仲なおりの手紙・・・。

作者は天才的な頭脳の持ち主である。
読者もそれを心得て読まねばならない。

登場人物はなかなかのクセモノ揃い。くんずほぐれつ複雑なドラマが展開する。

その虚々実々のスリリングなやりとりは本書で堪能していただくとして、ここでは、この中の「英語の手紙を書くコツ」をまずご紹介しよう。

登場人物のママ子は英語教室のオーナー兼教師。教え子に英語の手紙の書き方を伝授している。

いくつかあるコツの中で、次が面白い。

「日常の些事をユーモアをまぜて入れなさい」
その手本は以下のようなものだ。

「いただいたアクセサリーを大喜びでつけて出たら、家の犬までうらやましそうに見上げていたが、家の犬は近所の犬の中でももっとも洒落者ですから、趣味眼は信用がおけるのです」
My duckshund is wellknown as a dandy in neighbourhood, whose judge is just reliable.

そして、最後に、次のような文章を自由に英語で書いてみるようにいう。

「今、台所でお芋が煮えるのを待つあいだ、いそいでこのお返事を書いています。あなたのお手紙はうれしくて何度も何度も読み返しました。私は台所の囚人です。そこであなたの手紙はよみかえすごとにソースの匂いがしみこんで、ますますおしいいご馳走になりました。あ、お芋が煮えた。ごめんなさい。私はガス台まで走り寄ります」

これがうまく書けたら、チャーミングな手紙になること請け合いだ、と。

さすが三島である。
こんな手紙をもらったら、たとえ短くても満足し、何度も読み返したくなるに違いない。

こうしたユーモアのセンスは、デジタルコミュニケーションでも気の利いたアクセントになるだろう。

それにしても、巻末の「作者から読者への手紙」で三島が解く次の心得は意味深だ。

世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです。

父親から息子への手紙

もう一通、是非ご紹介したい手紙がある。
小説ではなく、本物の書簡だ。*2
(*2 出典:今村武雄(1983)『小泉信三伝』文藝春秋, pp.334-335)

できたら静かなところで読んでほしい。

小泉信三がたった1人の息子に宛てた次の手紙について読者はどんな感想を持たれるだろうか。

君の出征に臨んで言って置く。
  吾々両親は、完全に君に満足し、君を我が子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生れ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として、両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽したいと思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。今日特にこのことを君に言って置く。
 今、国の存亡を賭して戦う日は来た。君が子供の時からあこがれた帝国海軍の軍人としてこの戦争に参加するのは満足だろう。二十四年という年月は長くはないが、君の今日までの生活は、如何なる人にも恥しくない、悔ゆるところなき立派な生活である。お母様のこと、和代、妙のことは必ず僕が引き受けた。
 お祖父様の孫らしく、又吾々の息子らしく、戦うことを期待する。
                               父より
信吉様


出典:今村武雄(1983)『小泉信三伝』文藝春秋, pp.317

信三は外出したときに、車中でこの手紙を信吉に渡した。
信吉は走り出した車の中ですぐに読んだ。
2、3度、繰り返して読み、
「素敵ですね」
と顔を輝かせて言い、軍服の内ポケットにしまった。

この手紙を懐に忍ばせ、折にふれて読んでいた信吉は、間もなく戦死した。



テキストコミュニケーションは、デジタルにしろアナログにしろ、さまざまなことを私たちに突き付けてくる。
決して侮れないコミュニケーション手段なのである。

ライタープロフィール

横内美保子

博士。元大学教授。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。
現在は社会問題をテーマとしたプレゼンテーションやレポート作成などのアカデミック・リテラシー、ビジネス・ジャパニーズなどのクラスを担当。
Webライターとしては、各種統計資料や文献などの分析に基づき、多岐にわたるテーマで執筆、関連企業に寄稿している。


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